時代の転換点と共にあった化粧品
口紅は、武器として戦争に活用できるわけではない。しかし、私たちが戦う理由を象徴している。どんな状況に置かれても、女性は美しさを求める権利があるからだ。
第二次世界大戦時、米国の化粧品会社 Tangee は、抵抗の意味を込めて、先記のモットーを掲げました。
赤い口紅が第二次世界大戦の化粧品の象徴であったことは、興味深いです。
その発端となったのは、1912年にニューヨークで起きた女性の参政権運動でした。
世界的に有名な化粧品ブランドの創始者でもあるエリザベス・アーデン氏がデモに加わり、参加者に赤い口紅をつけることを呼びかけました。
結果として1.5万人の女性がデモに参加し、赤色の口紅は、女性の権利向上に関するデモの象徴となったのです。
第二次世界大戦中も、美の権利や各々の信念を貫くべく、女性は化粧品を使いました。
連合国を想像させる色合いであることから、アドルフ・ヒトラーが赤色の口紅を嫌っていたとの風説もあります。
ウクライナ侵攻下の化粧品産業
2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻に伴い、ウクライナの化粧品ブランドは事業継続に苦しんでいます。
米国商工会議所によると、2022年4月中旬時点で、41%の企業が事業を支障無く継続できているものの、50%の企業は戦争による制約がある中で運営を続けているとのことです。
化粧品市場は、ウクライナ経済でも大きなシェアを持ちます。
ウクライナの統計局によれば、化粧品市場は国内GDPの3.3%を占めています。
商品販売数量の観点からは、非食料品の分類では自動車、製薬、石油製品に次ぐ4位となっており、237億フリブニャに相当します(2022年時点データ)。
ロシアによる侵攻ならびに実効支配は、ウクライナ企業の経営者に事業・生産の配置転換などを強いています。
ウクライナ経済省は、戦下におかれる地域の企業について、移転などをサポートするプログラムを開始しました。
既に692社がこのプログラムを活用して移転し、内477社は既に移転先で生産を開始しました。
合計で 1,763件を超える申請があり、現在は326社について移転先や物資などの移動方法について検討がなされています。
移転後も、人々に化粧品を届けるVESNA
移転済の企業の代表例は、キエフ近郊のブチャで家族経営企業として創業した、自然由来の化粧品製造会社であるVESNAです。
開戦前は、国内向けのみならず、輸出向け製品も生産していました。
同社の共同創業者であるビクトリア・マスロヴァ氏はウクライナのポータルサイトDelo.uaでのインタビューにて、家族経営規模の小さな企業から複数のブランドを誇るまで、自社をどのように発展させてきたか、いざ戦争が始まった後に最前線の兵士たちを支援すべく生産ラインをどのように再構築したか、を語っています。
ビクトリア氏は、仕事上のパートナーとして完璧な母親とともに会社を切り盛りしています。
2人は、7年前にゼロからの創業を果たしました。
きっかけは自身の皮膚トラブルに対処すべく品質の良い化粧品を探した際に、満足いく商品に出会えなかったことです。
創業後、徐々に販路を広げ、Facebook経由で商品を販売していきました。
商品に満足した顧客の口コミのお陰もあり、事業は順調に拡大。化粧品に加えて他企業の健康食品をも扱う、ブチャのブランドショップにまで登りつめました。
生産工場と本社機能を持つオフィスも店舗の近くに設置しており、子供たち向けに工場ツアーも開催していました。
化粧品の構成材料は食することもでき、ツアー内では実際にクリームを試食することもできました。
ここ数年は事業も成長し、2022年には国外市場への参入も検討していました。
実際、2022年2月23日には、米国のAmazonに向けて サンプル品を準備していました。
ところが、その翌日にはウクライナ侵攻が始まってしまいました。
ブチャがロシアの支配下に置かれ、彼女らも避難せざるを得なくなり、オフィスや工場などの現況を知ることができなくなりました。
ついにブチャがロシア支配下から開放された後、ビクトリアは店舗や生産工場の様子を写真で知ることになります。
それは人生で最も苦しく、悲しい光景でした。
生産施設と店舗はロシア兵の砲撃により破壊されており、コーヒーマシンやカメラといった電気製品に加えて、テーブルや椅子などの家具も持ち去られていました。
持ち出すことのできない、150kgの化粧品製造機器は、破壊されていました。
悲劇の先に
こうした悲劇を乗り越え、リヴィウに製造拠点を移したVESNAは今は店舗をイルペン、ムカチェヴォ、リヴィウに構えるほか、国内の提携店舗は50店舗以上となりました。
現在、同社は化粧品等を販売して得られる収益の一部を元に、クリーム、バルサムといった製品をウクライナ兵のために無償で製造しています。
スピード感を持って提供するため、ファンドへの寄付を通さず、直接軍隊に寄贈しています。
ビクトリア氏は、彼女の人生が戦争「前」と「後」で大きく変わってしまったと言います。
少し前までは、売上高を伸ばし、ブランドを普及させることに専念していたのが、今はウクライナ軍を支援することが第一優先になりました。
(according to the materials of Delo.UA)