シベリアに残された765名のポーランド人の子どもたちが、100年前来日したことをご存じですか?
1919年から1923年にかけて、シベリアと満州から日本を経由し祖国ポーランドへ帰還することが出来た765名のポーランド人の子どもたちを「シベリア孤児」といいます。彼らは、シベリアに追放されたポーランド人の子孫や、第一次世界大戦時に仕事(主にシベリア鉄道で働くこと)を求めてロシアに来た難民の子孫でした。ロシアで起きた10月革命、市⺠戦争によって彼らは家を無くし、飢餓に苦しんでいました。そのような状況の中、当時教師だったアンナ・ビエルキエヴィチ氏と医師のヨゼフ・ヤクブキエヴィチ氏はシベリアに残された子どもたちのためのポーランド救助委員会を設立し、ロシアから日本への避難を要請し、シベリア孤児たちが来日することになりました。
3回に分けて来日した子どもたちは、敦賀港に到着後、東京や大阪へと送られました。到着した子どもたちは、受け入れ先である日本赤十字社や社会福祉法人福田会にて服や食べ物を与えられ、次第に元気を取り戻していきました。
来日したポーランド人の子どもたちに関するニュースは日々新聞等に取り上げられ、全国から寄付や物品支援が寄せられたといいます。中には、美容院を営む方から子どもたちの散髪をしたいとの申し出もあったそうです。
その後ポーランドに帰還した子どもたちの中には「極東青年会」という組織を設立した者もいました。1928年にイェジ・ストシャウコフスキ氏によって設立された同会は、当初の会員数12名から数年後には600名を超える会員が所属する大きな組織となりました。ポズナン、ウッジ、ルウフ、グディニア等ポーランド国内全域に活動を展開し、『Młody Sybiriak(若いシビリアク)』という新聞も発行していました。日本文化を広める活動も頻繁に行っていたとの記録が残っています。
2019年に来日したアガタ・コルンハウゼル=ドゥダ大統領夫人は東京の社会福祉法人福田会を訪問し、子どもたちと交流されました。100年前の日本とポーランドの交流から生まれた現在の絆、100年後にはさらに発展した両国関係を目にすることが出来ることを願うばかりです。